我日本の柱とならない

我日本の柱とならない、我日本の眼目とならない、我日本の大船とならないし、そんな誓いしていない。

カメラマンのマナーと写真の暴力性について

 先日、写真家がホタルイカで光る地元の海岸の景色を撮って、有名になったところ、二匹目の泥鰌を狙ったアマカメラマンが押し寄せて苦言を呈す記事が注目を集めていた。日頃カメラマンに対して思っていることについてぶちまけたい。

 

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 美しい景色を撮りたい気持ちはわかる。しかし、何故この手のカメラマンは同じ景色を撮りたがるのだろうか。まったく同じ景色をトレースして楽しいか?

 これは人種や国籍に関係ないと思う。東京に住んでいる時、夜の渋谷のスクランブル交差点を撮りたがる外国人のアマカメラマンを何人見たことか。(絵葉書やディスプレイを写真にとっても変わらなくない?)

 そもそも、「趣味:写真」というと、オタクっぽいけど物静かな大人の趣味という扱いをされているのが気に食わない。アイドルやレースクイーンをオナネタとして撮るいわゆるカメコや数々の奇行で知られる撮り鉄(鉄道オタクのうち鉄道の写真を撮るオタク)は言うに及ばす。風景や祭りの写真撮ってるおっさん達もたいがいだろう。

 風景写真撮ってるおっさん達には、平気で花壇や芝生を踏み荒らす輩がいるし、祭り写真撮ってるおっさん達には、地元の祭り参加者の席を独占する奴がいる。マナー違反しなくても、そのカメラの動線を独占し排他する権利など一切ないのに、そこを横切る人をにらみつける奴等。

 写真を撮るのに、場所とカメラの動線を独占するのはどうなのだろうか、観光客のスナップショットみたいな数秒ならともかく、何十分も自己満足で「美しい写真」をとるために、見晴らしの良い場所を独占するのはものすごく自己中心的ではないだろうか。第三者として、風景を拝借させていただきますという心構えを持てよと思うし、そのようなエゴ丸出しの姿を恥ずかしくは思わないのだろうか。

 

 アマカメラマンにそれとなく注意しても、どこ吹く風なのであえて厳しく書いた。