我日本の柱とならない

我日本の柱とならない、我日本の眼目とならない、我日本の大船とならないし、そんな誓いしていない。

池田大作の死でこれから起こること

本日、池田大作名誉会長の訃報が日本中を駆け巡った。

 

公明党のみならず、岸田首相をはじめ与野党の有力者から追悼のメッセージが出された。ここ10年近く動静が絶えていた人にもかかわらず、いざ死去となると大きなインパクトを社会に与えている。あらためて彼の人の影響力の大きさに驚かされる。

実際、創価学会に批判的な立場の人でも、池田大作という人間の影響力の大きさを否定する人はいないだろう。

 

そこで、今後池田名誉会長の死が、どのような影響を与えるか考えてみた。

 

創価学会は分裂しない

 週刊誌等は池田名誉会長の死をもって、「創価学会分裂!」、「お家騒動へ」などと煽るかもしれないが、池田名誉会長の死をきっかけに創価学会が分裂や混乱する可能性はゼロだろう。

 既に10年近く、池田名誉会長が実質不在である中、教団の運営はスムーズにいっており、宗教団体としての創価学会は高度に組織化された官僚組織になっている。

 また、会内で牧口(初代)、戸田(二代)、池田(三代)までを三代会長として特別な位置づけにする作業も完了している。現行の原田会長(六代目)には、池田名誉会長のようになってやろうという野心もカリスマもない。そのほかに、官僚組織化した今の創価学会に、かつての池田大作のような強烈な個性をもった存在は見当たらない。

 世襲をめぐるお家騒動もない。そもそも創価学会は、日蓮正宗の信徒団体であり、池田大作氏が一代で興した組織ではない。池田名誉会長の息子である池田博正主任副会長は、会内で高い地位にはあるものの枢要の地位に位置しているとはいいがたく、今日の記者会見でも息子として、母親のメッセージを代読するような立場だった。あくまでも「池田先生のご子息」という位置づけでしかなく、母親ゆずりの性格でおとなしいとされる本人に野心はないと見ていいし、積極的に担ごうなどという集団もない。

 過去、創価学会という組織がもっとも動揺したのは、1991年の日蓮正宗からの破門であった。この時は、学会を辞めて宗門に行く人も多かった。90年代00年代前半には、訴訟を連発するなど激しく汚い抗争が続いた。激しく攻撃することが組織防衛だった面もあった。

 しかし、それから30年近く経過した今では学会にとって、かつての「本山」はもはや過ぎ去った敵であり、激しく攻撃する必要すらなくなってしまった。00年代初頭まで聖教新聞の1面の寸鉄というコーナーで、宗門を激しく罵倒していたが、いつしかそれも姿を消した。仮に今、創価学会員が日蓮正宗の信徒から、折伏(勧誘)を受けても、殆どは聞き流すか無視をするだけだろう。この面からも学会が崩れとは思えない。

 

創価学会の伝統教団化が進む。

 創価学会がお家騒動や外部からの攻撃で崩れることはないと書いた。しかし、信者の内心には大きな影響があると思われる。宗門からの破門前には、創価学会はその信仰の象徴を、大石寺日蓮正宗本山)にある日蓮直筆の板曼荼羅に求めていた。日蓮正宗から破門された後は、その穴を埋めるために、池田大作個人を偶像化し、海外の著名人との対話や海外大学からの名誉博士号、小説人間革命による神格化などを盛んにおこなった。これによって、破門され日蓮系宗教団体として正統性が問われる中で、日蓮系教団の独特の攻撃性を薄めつつ、組織の強固な団結を維持することに成功した。

 池田大作個人のキャラクターも相まって、池田の偶像化は特に政治面でも集票マシンのエンジンとなった婦人部に熱烈に受けた。二世三世信者にも「師弟不二」などと教育し、創価学会を「家の宗教」とすることに成功した。

 しかし、その偶像が亡くなるとどうなるだろうか。高齢信者にとっては、亡くなっても池田名誉会長は、よりどころとなるだろうが、若い三世四世の信者の心をつなぎとめることができるだろうか。「池田先生のため」と題して行っていた活動の対象が亡くなった後も、その掛け声はどこまで訴求力があるだろうか。

 おそらく、学会は無くなることはないが、徐々に活動力を失っていく。かつての一向一揆で猛威をふっるた一向宗が、浄土真宗という体制側の教団となったように、穏健化をしていくだろう。

 

最後に。

池田先生は、「キンマンコ」発言とか、「マハッロー」発言とかネタにも事欠かない愉快な人でした。追悼の意を込めて「マハッロー」